偶然には意味がある

良く言及する「全ての偶然は必然である」というフレーズ。唐突すぎる感も否めないので... やや変形を許容しつつ、頭の中で連携を論理的に記述してみることに。

「全ての偶然は必然である」。それは「偶然には意味がある」という仮説を前提とすることによって、世界の見え方がどう変化するかというパースペクティブの選択問題であるのだろう。

自分が一般的に持つパースペクティブ上では偶然に思えることでも、「実は違うのではないか?」という因果に対する探求心。そこに神秘を/神を/奇跡を見いだす人もいるかもしれない。

しかし、これは純粋に因果律にかかわるパースペクティブ上の議論である。多くの人は連鎖の探求を論理的にだけ追い求め、行き詰まりを感じ、途中で思考を停止することにより、それを「偶然」の産物として認識する。或いは自分自身にさせる。

因果推測それ自体も仮説に基づくもの。仮説により提示された命題が存在しない限り、その成否を検証する最低限の術がないからだ。ただし仮説の生成は単純な観察によって導き出せるとは限らない。素材と触媒と反応を生じるための時間が必要な場合が多々ある。焦ってはならない。

それ故に「偶然」と思えることは、またとない恰好の素材となりうる。そこで思考を停止することも、新たなるパースペクティブからの視点で見つめ直すことも。しかし、そうした行為それ自体が、また当人の自由なのだ。